“スリランカは「自分をリセットする旅」”
2025年10月11日
インド洋の南に位置する島国スリランカは、古代からアジアとヨーロッパを結ぶ海上交易の要所として発展してきました。
その歴史は、仏教の伝来、王朝の興亡、植民地支配、独立、そして現代の多民族国家形成へと続く長い歩みです。
今回は、スリランカの歴史を主要な時代ごとに整理し、文化的・経済的背景を含めて体系的に解説します。
1. 古代王国の成立と仏教の伝来
スリランカの歴史は、およそ紀元前5世紀に北インドから移住したとされるアーリア系民族、シンハラ人の定住から始まります。伝承によると、紀元前543年ごろ、シンハラ人の祖とされるヴィジャヤ王がタムラパルニ(現在のマナー)に上陸し、島に初めて統一的な政治体制を築いたとされています。
その後、アヌラーダプラ王国(紀元前4世紀?11世紀)が成立し、スリランカ初の長期王朝として発展しました。
この時代、インド・マウリヤ朝のアショーカ王の庇護を受けて、紀元前3世紀に仏教が伝来します。仏教は王権と深く結びつき、アヌラーダプラは宗教都市として繁栄しました。
今日も残るスリランカ最古の仏塔「ルワンウェリ・サーヤ」や、ブッダの菩提樹から分けられたとされる「スリー・マハー菩提樹」が建立されたのもこの時代です。
仏教は国家宗教として定着し、王権の正統性を支える思想的基盤となりました。この影響は現在のスリランカ社会にも色濃く残っています。
2. 中世王国の変遷と南インド勢力の影響
11世紀以降、南インドのチョーラ朝が侵攻し、アヌラーダプラ王国は滅亡します。その後、シンハラ人は内陸部のポロンナルワに都を移し、ポロンナルワ王国(11?13世紀)が成立しました。
この時代には、農業技術と灌漑システムが高度に発達し、巨大な貯水池(タンク)が建設されました。スリランカの稲作文化の基盤はこの頃に形成されたといえます。
しかし13世紀以降、インドからの侵攻や内乱が続き、王権は分裂します。キャンディ、クルネーガラ、コッテなど、地方ごとの王国が並立し、島の政治的統一は失われました。
その一方で、インドや東南アジアとの交易が盛んになり、香辛料・宝石・象牙などを輸出する海洋貿易国家としての側面が強まりました。
3. 欧州勢力の進出と植民地化
スリランカの地理的な重要性は、15世紀以降の大航海時代に再び注目されます。
1505年、ポルトガルが初めてスリランカに到達し、沿岸部に勢力を拡大しました。彼らはキリスト教を布教し、貿易を独占する体制を築きました。
しかし、内陸のキャンディ王国は独立を保ち、ポルトガル支配に抵抗しました。
その後、17世紀にはオランダがポルトガルを駆逐し、島の沿岸部を支配します。オランダ東インド会社(VOC)は、シナモンなどの香辛料貿易を管理し、経済的支配を強めました。
さらに1796年、イギリスがナポレオン戦争を契機にオランダ領を引き継ぎ、1815年には最後まで独立を維持していたキャンディ王国も陥落。
スリランカ全島がイギリスの植民地(セイロン)となりました。
4. イギリス統治と経済構造の変化
イギリス植民地時代(1815?1948)は、スリランカの社会・経済に大きな変化をもたらしました。
まず、イギリスは紅茶・ゴム・コーヒーなどのプランテーション農業を導入し、商業的農業経済を確立しました。特にセイロンティーは世界的なブランドとして発展し、現在でもスリランカ経済の柱となっています。
一方で、プランテーション労働力として南インドから多くのタミル人が移住させられ、民族構成に変化が生じました。これが後のシンハラ人とタミル人の対立の背景の一つになります。
教育制度やインフラ整備も進められ、近代的な行政組織が形成されましたが、政治的権力は依然としてイギリス人と上層階級に集中していました。
20世紀初頭には民族主義運動が高まり、スリランカ人自身による自治を求める動きが活発化します。
5. 独立と内戦の時代
1948年、スリランカ(当時セイロン)はイギリス連邦内の自治領として独立しました。初期の政府は議会制民主主義を採用し、教育水準の高さや社会制度の整備により、比較的安定した国家運営を行いました。
しかし、シンハラ人優位の政策が進められるにつれ、少数民族タミル人との間で緊張が高まります。
1956年には「シンハラ語を唯一の公用語とする法案」が成立し、タミル人の反発が激化しました。1983年には北部を中心にタミル人武装組織「LTTE(タミル・イーラム解放の虎)」による武力闘争が始まり、内戦が本格化します。
この内戦は26年にわたり続き、2009年に政府軍がLTTEを制圧するまで、国全体に深刻な影響を及ぼしました。
6. 戦後の復興と現代スリランカ
内戦終結後、スリランカは復興と経済発展に力を入れています。観光業、農業、IT産業が主要産業として成長し、特に世界遺産登録地を中心とした観光振興が進められています。
また、首都コロンボでは港湾開発や都市再開発が進行し、南アジアの物流拠点としての地位を高めています。
一方で、民族融和や人権問題は依然として重要な課題です。タミル人地域の復興や教育支援、政治的代表権の拡充が求められています。
宗教的には、仏教徒(約7割)、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が共存しており、多様性を尊重する社会づくりが進められています。
7. スリランカの歴史が示す現在の価値
スリランカの歴史は、外部勢力との接触と多文化の融合の歴史でもあります。インド文明、アラブ貿易、ヨーロッパ植民地支配といった多層的な影響が、同国の宗教・言語・芸術に独自の形で反映されています。
今日、スリランカは「アジアの交差点」として、地域的な安定と経済連携を担う存在となりつつあります。
観光地としても、古都アヌラーダプラやシギリヤ・ロック、キャンディの仏歯寺など、歴史的遺産が豊富です。これらは単なる観光資源ではなく、2500年以上にわたる文明の継承を示す文化的証拠といえます。
まとめ
スリランカの歴史は、王朝の興亡、宗教の伝播、植民地支配、独立、そして内戦と復興という長い過程を経て現在に至っています。
その歩みの中で形成された多民族・多宗教の社会は、アジアの中でも特異な文化的多様性を持つ国の姿を形づくりました。
歴史を理解することは、現在のスリランカの文化や社会を正確に捉えるうえで欠かせない要素です。
執筆者: Sara Hashimoto
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