Column
2025年10月6日
ベトナム中部、トゥボン川のほとりに位置するホイアン(Hoi An)は、その美しい街並みと穏やかな空気で、今や世界中の旅行者を魅了する観光都市です。
しかし、その魅力の根底には、数百年にわたる貿易と文化交流の歴史があります。
この記事では、ホイアンの歴史をたどりながら、
なぜこの小さな町が“世界遺産”として評価されるのかを見ていきましょう。
ホイアンの歴史は16世紀後半にさかのぼります。
当時のベトナム中部は「チャンパ王国」と「大越王朝」の境界にあり、海を通じた貿易の要地として発展していました。
トゥボン川の河口に位置するホイアンは、
中国、日本、ポルトガル、オランダなど世界各地の船が行き交う国際商港として栄えます。
この時代、ホイアンは“フェイフォ(Faifo)”という名で知られ、
東南アジアでも有数の貿易拠点でした。
特に17世紀初頭には、日本との交流が活発になり、
町には多くの日本人商人が住み着きました。
彼らは「日本人町」を形成し、朱印船貿易を通じて絹や陶磁器、香料などを取引していたといわれます。
ホイアンで最も象徴的な建造物が、来遠橋(通称:日本橋)です。
この橋は17世紀初頭、日本人商人たちによって建てられたと伝えられています。
来遠橋は、町を流れる運河の両岸をつなぐ木造の屋根付き橋で、
屋根瓦や装飾には日本的な要素が残っています。
橋の内部には小さな祠があり、航海の安全を祈願するための神様が祀られています。
現在、この橋はホイアン旧市街の象徴として、
ベトナム紙幣のデザインにも採用されました。
日本とホイアンの絆を今に伝える、歴史的な遺構です。
18世紀に入ると、ホイアンの繁栄は次第に陰りを見せます。
海岸線の変化によりトゥボン川の水深が浅くなり、
大型船が入港できなくなったことが一因でした。
また、阮(グエン)王朝がフエを政治・経済の中心に定めたことも影響し、
ホイアンは主要な貿易港としての役割を失います。
しかし、その“衰退”こそが、今日のホイアンの魅力を生み出しました。
近代化の波から取り残されたことで、
16~19世紀の街並みや建築が奇跡的に保存されたのです。
1999年、ホイアン旧市街はユネスコの世界文化遺産に登録されました。
登録理由は「東南アジアの交易都市としての面影を今に伝える保存状態の良さ」と
「異文化が融合した独自の都市景観」にあります。
ホイアンでは、中国風の会館、日本の橋、ヨーロッパ風の建築が自然に共存しています。
それぞれの文化が争うことなく、ひとつの街の中で調和していることが、
この町を特別な存在にしています。
夕暮れになるとランタンの灯りが旧市街を包み、
かつての繁栄を静かに語るような光景が広がります。
それは単なる観光演出ではなく、
この街に息づく「多文化共生の記憶」そのものです。
現在のホイアンは観光地でありながら、
地元の人々の暮らしが息づく“生きた世界遺産”です。
旧市街の家々には、今も家族が住み、日常生活が営まれています。
サラトラベルでは、こうしたホイアンの歴史と文化を、ただ“観光する場所”としてではなく、“感じ、理解する場所”としてご案内しています。
旅を通じて、ホイアンという町が持つ深い時間の流れを体感していただけるはずです。
時を超えて残る「交流の町」、ホイアンは、単なる観光地ではありません。
そこには、人と人、国と国がつながってきた歴史の記憶があります。
日本人商人が築いた橋、華僑が建てた会館、そして、それらを受け入れ調和させてきたベトナムの人々の精神。
ホイアンの街を歩けば、過去と現在が静かに重なり合いながら息づいていることを感じるでしょう。
執筆者: Sara Hashimoto
ホイアンのツアーは