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八田與一のはなし

2025年9月15日

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画像は組合長時代の八田與市(無帽の背広姿)

現在の日台関係においても重要な役割を担う八田與一の功績とは?

日本統治時代に台湾で活躍した日本が誇る技術者がいます。
それが八田與一です。

台湾ではあまりにも有名で、台湾でもっとも有名な日本人と言っても過言ではありませんが、台湾で灌漑事業を推進、台湾南部におけるダム事業を成功させ、現在まで脈々と受け継がれる水路を切り開いた業績などから「嘉南大圳の父」として尊敬されています。

八田は、1910年東京帝大土木科を卒業すると、台湾総督府に技師として赴任します。そして、嘉南平原で広大な適地がありながら、日々の飲み水にも事欠く地元住民の姿を見て不毛の地に大規模ダムを建設する決意をし、国会承認を経て国家事業にこぎつけます。

ただし、それは総督府の直轄工事ではなく、民間工事に国が補助金を出すという形態であったため、八田は自ら公務員の立場を捨て、組合技師になってまでして事業に邁進、10年間の工期を費やし、設計から完成まで指揮をとります。こうして烏山頭ダムが完成、「嘉南大圳」と呼ばれ台湾最大の農水施設となりました。 このダムによって、大規模な干ばつが発生していた不毛の大地は、貯水量1億5000万トン、水路の総延長16000㎞という途方もないほどの巨大灌漑用水になり、それ以来完成後100年近くが経ちますが、度重なる地震にも耐え、いまでも現役で活躍し嘉南平原を潤し続けています。

悲しいことに八田は1942年陸軍から召集され、フィリピンでの灌漑施設調査を命じられ同国に向かう途中、乗船していた大洋丸が撃沈され殉職しました。また、夫人の外代樹も終戦間もない1945年に烏山頭ダムに身を投げ投身自殺を遂げています。

現在でも尊敬される日本人 八田與一ですが、日本統治時代に台湾に渡り、純粋に己の本分をまっとうし、地元への“裨益”を体現した日本人は少なくありません。これは、当時の国策としての同化政策もあるでしょうが、私心のない明治生まれの職業人の典型だったのかもしれません。

我々令和に生きる日本人がつい忘れがちになる部分だと思いますが、八田のように利他的に生き、日本人に生きながら台湾のことを思い、長きに亘って尊敬されたという事績は、物質社会にまみれる私たちに、何か教えてくれているような気がしてなりません。

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